東京地方裁判所 昭和46年(ワ)9593号 判決 1973年9月13日
原告 株式会社チェリー商事
右代表者代表取締役 杉山百蔵
右訴訟代理人弁護士 中嶋一磨
被告 有限会社ナカムラ写真機店
右代表者取締役 中村敏一
被告 中村敏一
被告 堀内皇冨士
右訴訟代理人弁護士 米田為次
同 米田忠夫
主文
被告有限会社ナカムラ写真機店及び同中村敏一は原告に対し、連帯して金二、七〇九、二三〇円とこれに対する昭和四八年六月二四日から支払ずみまで年六分の割合による金員を支払え。
被告堀内皇冨士に対する原告の請求を棄却する。訴訟費用は、原告と被告有限会社ナカムラ写真機店、同中村敏一との間においては、原告に生じた費用の二分の一を右被告両名の負担とし、その余は各自の負担とし、原告と被告堀内皇冨士との間においては全部原告の負担とする。
この判決は、原告勝訴の部分にかぎり、仮に執行することができる。
事実
第一 原告は、「被告らは原告に対し、連帯して金二、七〇九、二三〇円及びこれに対する被告有限会社ナカムラ写真機店、同中村敏一は昭和四八年六月二四日から、被告堀内皇冨士は同四六年一一月一六日から、各支払ずみまで年六分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告らの連帯負担とする。」との判決と仮執行の宣言とを求め、請求の原因として、
一 原告はフィルム、カメラ等の写真用品の卸売りを、被告有限会社ナカムラ写真機店(以下、単に被告会社という)は右用品の小売りを、それぞれ業としている会社である。
二 原告は被告会社に対し、昭和四四年八月から同四六年八月まで、フィルム、カメラ等の写真用品を代金は毎月二〇日締め切り同月末日払(たゞし手形による支払については翌々月末日払)として売り渡し、その結果、被告会社に対し、同四六年九月一四日現在合計金二、七〇九、二三〇円の代金債権を有するに至った。
三 被告中村及び同堀内は原告に対し、それぞれ昭和四四年八月一日、被告会社が原告に負担する一切の債務について連帯保証をした。右連帯保証の締結は、被告中村が被告堀内から付与された代理権に基づき、かつ代理行為をするため交付を受けた実印を用いて直接被告堀内の名を表示して行ない、その際原告に差入れられた取引契約書の連帯保証人欄に、被告中村において被告堀内の署名捺印を代行したものである。
四 仮りに前項の主張が認められないとしても、被告堀内は表見代理の規定の適用により、本件連帯保証契約に基づく責を負わねばならない。すなわち、
(一) 被告堀内は、被告中村の妻中村光江の実兄にあたることから、屡々自己の実印を光江を介して被告中村に交付し、本件取引契約書の作成に当っても、同被告は被告堀内から預っていた実印をその連帯保証人欄に押捺したにほかならないのであって、これは、被告堀内が十数年来被告会社の経営、金策に関与し、かつ万事にわたって被告中村夫婦の面倒をみてきた事実と相俟って、包括的に原告を含む第三者に、被告中村に対し、被告会社の取引先との間の連帯保証契約締結の代理権限を与え、かつ契約書に署名押印を代行する権限を授与した旨表示した場合にあたるというべきである。従って、本件連帯保証契約には民法一〇九条の適用があるべきである。
(二)1 被告堀内は、昭和四四年七月ころ被告会社が清水銀行三島支店から融資を受けるについて、同被告のため同銀行に対し連帯保証をすることを承諾し、光江を介して被告中村に対し自己の実印を交付して、右保証に用いる自己の印鑑証明書下付申請手続を依頼し、よって同被告に右申請手続に必要な代理権限を授与しており、また同年八月初め、原告の同業者たる株式会社浅沼商会に対する被告会社の債務につき連帯保証を承諾したうえ、被告中村に実印を交付して連帯保証契約を締結する代理権を与え、かつ取引契約書に署名捺印を代行する権限を与え、さらには数年来、被告堀内は被告中村に対し、実印を交付して被告会社振出の手形等につき署名代理の方法によって裏書する権限を与えていた。
2 本件連帯保証契約を締結する当時も、前記のように被告中村は被告堀内からその実印を託されていて、本件取引契約書に右実印を使用し、原告もその印影の特殊な形状から、一見して被告堀内名下の印影が実印によるものであることを承知した。
3 被告堀内は、十数年来被告会社の経理、経営方針について被告中村、光江の依頼に応じて相談にあずかり、金融機関に対する交渉、債務弁済方法等につき仕事の一翼を担ってきたものである、被告堀内が、被告会社の前記浅沼商会に対する債務整理のため、昭和四四年八月一〇日被告中村と同道して同商会東京本社に赴き、既存債務の支払方法について交渉した末、分割弁済に関して自ら連帯保証人になっていることも、叙上の事実を裏付けるものである。
4 原告は被告中村から、本件取引契約書を受領する際同被告から被告堀内との身分関係その他前述のようなかかわり合いについて説明を受けている。
従って、被告中村が被告堀内の代理人としてなした本件連帯保証契約が、その代理権限を越えたものであったとしても、原告は右契約の締結に際して、被告中村に代理権ありと信ずるについての正当な理由があったものというべく、この点につき民法一一〇条による表見代理の成立が認められるべきである。
五 よって、原告は被告らに対し、連帯して売掛代金合計二、七〇九、二三〇円及びこれに対する被告会社、同中村については弁済期経過後である昭和四八年六月二四日から、被告堀内については同じく同四六年一一月一六日から、各支払ずみまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求める。
と述べ、被告堀内の主張に対して、
一 印鑑証明書下付申請が公法上の行為であるとしても、印鑑証明は私法上の法律関係に使用されるものであるから、右下付申請は私法上の行為に関連し、かつその前段階において行なわれるものとして、同申請について付与された代理権限は、表見代理における基本代理権になり得るものといわねばならない。
二 銀行等の金融機関が金員の貸付を行うような場合であればともかく、原告、被告会社間のような写真用品等を取引する業界においては、一般に被告堀内の主張する如き保証人に対する問い合わせ、照会などの義務は要求されておらないのが実情であり、従って、この点において原告に責められるべき過失は存しない。
と述べた。
第二 被告会社、同中村は、いずれも公示送達による呼出を受けたが、本件口頭弁論期日に出頭しない。
第三 被告堀内は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、請求の原因に対する答として、
一 請求原因第一、二項の各事実は不知、第三項のうち被告堀内関係部分は否認、その余は不知、第四項の(一)のうち、被告堀内が被告中村の妻光江の実兄にあたること、原告主張の取引契約書の連帯保証人欄に被告堀内の実印が押捺されていること及び被告堀内が年来被告中村夫婦を援助してきたこと、同項(二)の1のうち、被告堀内が原告主張のころ自己の実印を光江に交付して、印鑑証明書下付申請手続を依頼したこと並びに同項(二)の3のうち、被告堀内が原告主張のころ被告中村と同道して株式会社浅沼商会東京本社に赴き、被告会社の既存債務について分割弁済の承諾を得、かつその支払につき連帯保証をする旨約したことは、いずれも認めるが、同項のその余の事実は否認する。
二 前記の印鑑証明書下付申請手続は光江に依頼したものであって、被告中村にかような委任をしたことはない。すなわち、昭和四四年七月ころ、被告会社が清水銀行三島支店に対する借入金債務を整理して、新規に銀行取引契約を締結するに当って、同銀行から信用保証協会の保証を付けるよう求められた。そこで、被告堀内が同協会と交渉してその承諾を得たところ、同協会に対して被告堀内の印鑑証明書の提出が必要とされるに至ったので、三島市役所においては実印さえ持参すれば、誰にでも印鑑証明書を交付する取扱をしているところから、同被告はそのころ光江に実印を託して右証明書の下付申請手続を依頼し、二、三日後に同人から実印の返還を受けたものである。しかして、被告中村は、叙上のように光江が被告堀内の実印を預っている間にこれを盗用して、本件取引契約書に押捺したものと思われる。
また、被告堀内が前記の如く株式会社浅沼商会東京本社に赴いたのは、昭和四四年八月初旬ころ、被告会社の同商会に対する債務が多額にのぼり、同商会はもはや取引を継続し得ないとして被告会社に納品してあった商品をすべて引揚げてしまったので、被告中村からなんとか救済して欲しい旨懇願されたことによるものである。
三(一) 被告堀内は、被告会社の銀行からの借入れについて保証をしたことはあるが、その場合は必ず被告堀内が自身で出頭して契約書に自署捺印しており、被告中村に代理権を付与したり、署名捺印を代行させたりしたことは全くない。(これは、被告中村は金融機関に信用がなく、一人で交渉しても相手にされなかったからである。)前記浅沼商会及び信用保証協会に対する各約定書についても、いずれも被告堀内が自ら署名押印している。
(二) 本件においては、被告中村が原告に差し入れた取引契約書に被告堀内の名と印章が表示されていたとしても、被告中村は被告堀内の実印あるいは白紙委任状をその場で所持していたわけのものでもなく、民法一〇九条の規定にいう代理権を与えた旨の表示行為とみなすべきものは存在しない。
(三) 被告中村には被告堀内から授与された基本代理権がないのであるから、民法一一〇条の適用もあり得ない。仮りに、被告堀内が光江に印鑑証明書下付申請手続を依頼したことが、被告中村に対する申請手続の委任と見得るとしても、同条の表見代理が成立するために必要とされる基本代理権は私法上の行為についての代理権であることを要するから(最判昭和三九・四・二)、印鑑証明書下付申請手続における私人の行為が公法上の行為である以上、右基本代理権にはあたらず、いずれにしても原告の請求は失当である。
(四) 仮りに、(一)ないし(三)の主張が容れられないとしても、原告はその主張にかかる取引契約書の作成に際して、被告中村に連帯保証契約の代理権ありと信じたことにつき重大な過失があったものというべきである。すなわち、被告中村が提出したという右契約書における同被告の署名と被告堀内のそれとは、一見して同一人の筆跡であることは明瞭であり、そのうえ同契約書の条項(一四条)が要求している印鑑証明書の添付もされていないのであるから、被告堀内名下の印影が実印によるものか否か、あるいは被告中村の盗用によるものか否か、当時においては知り得ない状態にあったこと、また右契約書の条項には取引限度額(六条)の定めもなく、契約期間(一六条)の制限もないのであって、かような継続的取引契約においては保証人としては意外の巨額につき長期に亘って責を負わねばならなくなる慮れがあること、以上の事実からすれば、原告としては保証人である被告堀内に対し契約書作成の経緯について問い合わせ、あるいは保証の限度等について照会するなどしてその意思を確かめるべき義務があると解することが一般取引の通念上相当というべく(最判昭和四五・一二・一五)、しかも、原告は被告堀内の住所からさして遠くない静岡に営業所があり、かような問い合わせ、照会などは容易にすることができたのであるから、これをなすことなく被告中村に代理権があるものと信じたとすれば、この点において重大な過失があるといわねばならない。なお、被告堀内が本件取引契約書に連帯保証人として自分の名が表示されていることを知ったのは、昭和四六年九月八日ころ、被告中村一家が夜逃げしたのち、同月一一日に原告会社静岡営業所長松永欽也、同所員塙昭守らの来訪を受けたときである。従って、原告は表見代理の規定の保護を受け得ないものというべきである。と述べた。
第四 証拠≪省略≫
理由
第一 被告会社及び被告中村に対する請求について。
一 ≪証拠省略≫を総合すれば、請求原因第一、二項の各事実を認めることができ、また、≪証拠省略≫によれば、被告中村は原告に対し、昭和四四年八月一日被告会社が原告に負担する一切の債務について連帯保証をしたことが認められる。以上の認定を左右するに足る証拠はない。
二 前項の事実に基づけば、原告の被告会社、同中村に対する本訴請求はすべて理由があるといわねばならない。
第二 被告堀内に対する請求について。
一 ≪証拠省略≫によれば、請求原因第一、二項の各事実が認められ、右認定を動かすに足る証拠はない。
二 原告は、被告堀内が原告に対し、昭和四四年八月一日、被告会社の原告に負担する一切の債務について連帯保証をなし、そして右保証契約は、被告堀内が被告中村に代理権限を与え、かつ実印を託して、同被告が直接被告堀内の名を表示して行なったものであると主張する。
按ずるに、≪証拠省略≫によれば、原告は被告中村に対し、昭和四四年八月ごろ取引契約書の作成を求め、そのころ原告静岡営業所々員塙昭守が被告会社において被告中村から甲第一号証(取引契約書)を受領したものであることが認められる。しかしながら、進んで、被告中村が被告堀内から、当時、原告主張のような代理権限を付与され、かつその代理行為をするために実印の交付を受けていたとの点については、≪証拠省略≫も、後に判示する諸事実ないし資料に対比して、未だ的確にこれを証するに足りないものであるし、他に右事実を肯認させるに足る証拠はない。
むしろ、≪証拠省略≫を総合すれば、被告堀内は被告中村の妻光江の実兄にあたるところから(この点は当事者間に争いがない)、昭和三〇年ころ同被告夫婦が北海道から三島市内に移り住み、さらに同三三年一一月被告会社を設立し、これを経営するようになったころから、いろいろと同被告夫婦の面倒をみるようになり(被告堀内が年来被告中村夫婦の面倒をみてきたことは当事者間に争いがない)、被告会社の銀行に対する借入金債務、あるいは取引先に対する継続的取引契約、同四三年秋ごろ被告会社の経営が思わしくなくなってからは既存債務の分割弁済契約などについて、被告中村夫婦、とりわけ光江に請われるままにその保証人となったこと、しかしながら、被告堀内は右のような保証契約を結ぶ場合には自らその衝に当り、契約書にも自分で署名押印をして、被告中村または光江に対し代理権を与えてかかる契約を締結し、あるいは契約書に署名捺印を代行させるような事例は存しなかったこと、しかるに昭和四四年八月ころ、被告堀内が被告会社の清水銀行三島支店に対する債務についての保証債務あるいは右債務につき委託を受けて保証している静岡県信用保証協会の求償権債権についての保証債務のため、自己の印鑑証明書が必要となった折に、光江に対して実印を交付し、三島市役所における右証明書下付申請手続を依頼したところ(叙上のころ、被告堀内が受任者が光江であるか被告中村であるかは暫くおき、光江に実印を交付して、印鑑証明書下付申請手続を委任したことは、当事者間に争いがない)、被告中村において被告堀内に断りなく、返還までの二、三日の間に、右実印を冒用して本件取引契約契約書の連帯保証人欄に被告堀内の氏名を記載し、その実印を押捺したものであること、以上の事実を推認することができる。
従って、原告の前記の主張は採用するに由ないところである。
三 原告は、本件連帯保証契約について、民法一〇九条の表見代理の適用があると主張する。
ところで、民法一〇九条の規定が適用されるためには、固より本人が第三者(特定人であれ不特定人であれ)に対し、他人に代理権を授与した旨表示していなければならないわけであるが、右表示の態様は、①本人が直接に第三者に対して他人に代理権を授与した旨表示した場合であると、②代理人であれば通常本人から付与されている白紙委任状、印鑑証明書その他を、本人が任意に他人に交付し、その他人においてこれを第三者に呈示したり、あるいは他人が本人に関連のある一定の名義、称号などを用いることを本人が容認し、もって本人が間接に第三者に対し他人に代理権を授与した旨表示した場合であるとを問わないことは、言うを俟たないところである。しかしながら、前項に認定した事実に鑑みれば、被告中村は、たとえ同被告が光江の夫であることから、被告堀内より直接実印の交付を受けたものと同視し得るとしても、同被告において印鑑証明書下付申請手続に用いるべく交付した実印を、本来の使用目的にかかわり合いのない本件取引契約に冒用して、ひそかに取引契約書の連帯保証人欄に直接同被告の氏名を記載し、実印を押捺した上、これを原告に差入れたものというほかはなく、しかも、≪証拠省略≫によって、被告堀内が昭和四六年九月一一日に至るまで右取引契約書の存在を知らなかったことが認められるのであるから(この認定を妨げるに足る証拠はない)、被告堀内は叙上のような事態を程なく聞知したにも拘らず、特段の措置をとることもなくこれを容認していたわけのものでもないことは明らかである。
以上の経緯からすれば、被告堀内において直接であれ間接であれ、第三者に対して被告中村に本件の如き連帯保証契約についての代理権限を付与した旨表示したものとは到底解することができない。
従って、被告堀内が第三者に対して、被告中村に右の如き代理権限を付与した旨表示したものとし、これを前提として民法一〇九条の適用があるという原告の主張は、所詮、排斥を免れない。
四 次に、原告は本件連帯保証契約について民法一一〇条の表見代理の適用があると主張する。
被告堀内が昭和四四年八月ころ、光江に対し実印を交付して印鑑証明書下付申請を依頼したことは前記のとおりであり、そしてまた、光江に対する依頼がその夫である被告中村に対する依頼と見做すことがたとえ可能であるとしても、民法一一〇条の表見代理が成立するために必要とされる基本代理権は私法上の行為についての代理権であることを要すると解すべきところ(最判昭三九・四・二参照)、印鑑証明書下付申請手続における私人の行為は公法的効果を生ずる行為として、公法上の行為にあたるのであるから、右手続に関する代理権限は同条の基本代理権たり得ないといわねばならない。
もっとも印鑑証明書下付申請手続が本人の私法上の契約による義務の履行のためになされるものであるときは、その権限は基本代理権たり得ると解される余地があるけれども(最判昭和四六・六・三参照)、前叙の事実から明らかなように、被告堀内は信用保証協会に対する保証契約上の義務の履行のために印鑑証明書を必要としたものであり、本件において、右下付申請手続が光江または被告中村に対する私法上の契約による義務の履行のために、その一環としてなされたものと認むべき証左はないのであるから、いずれにせよ、被告堀内が被告中村に対して印鑑証明書下付申請手続の代理権限を付与したものと見做しても、これを本件連帯保証契約についての基本代理権と解することはできない理路といわねばならない。しかして、他に、被告中村が被告堀内からそのころ私法上の行為につき代理権を与えられていたことを認むべき証拠も見当らない。
してみれば、本件について民法一一〇条の適用があるという原告の主張もまた、その余の判断をするまでもなく失当である。
五 以上の次第で、被告堀内に対する原告の本訴請求は理由がない。
第三 よって、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 中田四郎)